映画「羅生門」あらすじと感想【ネタバレあり】底にあるのは所詮エゴ
1950年公開。
日本映画で初めてヴェネチア国際映画祭金獅子賞およびアカデミー名誉賞を受賞。
黒澤明監督と三船敏郎さんが世界に名前を轟かせた最初の作品です。
タイトルは「羅生門」ですが、原作にしているのは同じ芥川龍之介作品の「藪の中」。
ひとつの殺人。食い違う当事者たちの証言。
語り部たちも含めて人間のエゴを浮き彫りにしていき、世界中が称賛する傑作であることに納得がいきました。
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あらすじ
時は平安。果てしない戦や天災で乱世が続く京都は荒涼としている。
どしゃ降りのため、崩れかけている羅生門に雨宿りに入った下人は、先にその場にいた杣売りと旅の僧に話しかける。
二人は検非違使での取り調べからの帰り道だった。
3日前に山で見つかった武士の他殺体について、それぞれ証言してきたのだが、他の当事者たちの証言がすべて食い違っているため、ともに首をかしげていたのだ。
下人はさして興味も持たなかったが、二人が話すに任せた。
まず杣売りは遺体の第一発見者。
売り物の枝を調達するため山に分け入っていくと、低木に引っかかった市女笠、地面に踏みにじられた侍烏帽子、断ち切られた縄にお守り袋が転々と落ちている。
さらに深く藪に入っていくと、両腕を天に伸ばした武士の遺体を見つけ、悲鳴を上げて山を下りていった。
旅の僧はその少し前、現場にほど近いところで、馬に市女笠を被った女人を乗せて手綱を引く武士を見かけていた。
その男女が、今回遺体で見つかった男・金沢武弘と、その妻の真砂(まさご)だった。
杣売りと僧は自分の証言をした後、後方に下がって他の証言者たちの話を聞く。
まず容疑者として、都の内外で悪名を馳せている盗賊・多襄丸(たじょうまる)が引っ張られてきた。
夫妻の馬と武弘の弓矢を持ちながら、河原で腹痛にのたうち回っていたところをお縄になったのだ。
そして武弘殺害を認めている。
3日前、山中で休息していた多襄丸は、目の前を通りかかった二人に目を向けたとき、笠で隠れていた真砂の顔を見て一目惚れ。
早速二人に近づき、武弘を騙して木に縛り付け、その目の前で必死に抵抗する真砂を手籠めにした。
多襄丸は二人を置いて去ろうとしたが、真砂が「二人の男と関係を持っては生きてはいけない。どちらかが死なねばならない。だから夫を殺してくれ」と頼んできた。
卑怯な真似はしたくない、と多襄丸は武弘の縄を切り、正々堂々と決闘でケリをつけた、ということだった。
次に証言者として呼ばれたのは真砂。
多襄丸が言うような気の強い女には見えなかった、というのが杣売りと僧が一致して持った印象だった。
真砂を手籠めにした多襄丸が満足げに去っていった後に武弘に近づくと、彼は何も言わずただジッと真砂を見ていた。
蔑みの目で。
耐え切れずに真砂は何度も、「やめて、そんな目で見ないで」と泣き叫んで懇願するが、武弘の目はまったく変わらなかった。
その目は真砂を瞬間の狂気に陥れ、真砂は短刀を持ったまま気を失った。
そして気づくと夫は死んでおり、怖くなってその場から離れた、と供述した。
次に呼ばれたのは巫女だった。
武弘を霊媒し、本人から直接聞き出す、という突拍子もないやり方だが成功する。
強姦の後、多襄丸について行こうとした真砂は、武弘を殺すよう多襄丸に頼み込んだのだという。
その態度に呆れた多襄丸が武弘の縄を切り、真砂のことをどうするか聞いてきたので「どうでもいい」と答えた。
真砂は脱兎のごとく逃げ出し、多襄丸もそれを追っていなくなった。
ひとり残された武弘は、捕縛され妻を目の前で手籠めにされ、そして妻の本性も見てしまった一連の出来事にすっかり打ちのめされ、真砂の短刀で自刃した。
深い闇に堕ちていく中、自分の身体から短刀が抜かれていく感覚があったことを証言して武弘は黄泉の国に沈んでいった。
一通り聞き終わって、下人も二人と同じように首をかしげる。
三者三様の証言に、どこに真実があるのかまったくわからない。
しかし杣売りの疑問はそこではなかった。
実は杣売りは藪の中でこっそり一部始終を見て真相を知っている。
検非違使には怖くて伝えられなかったのだ。
彼の持つ疑問は「なぜ三人とも嘘をついているのか」だった。
そして杣売りの口から真実が伝えられる。
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感想
三人ともが嘘をついていると分かり、僧は「人間は弱いから嘘をつく。己自身にもその嘘を言い聞かせて“それが真実だ”と思い込もうとする」と虚しさを感じながらも許容を示します。
弱さをカバーするために、全員虚勢を張ったり本性を隠したりといった嘘をつきますが、根底にあるのはプライドが傷ついたことに気づかれたくない、という気持ちがあるからと見受けました。
プライドの質はそれぞれ違っていて、多襄丸は求婚を受け入れてもらえないこと、武弘は妻を目の前で手籠めにされたことと決闘に破れたこと。
それに加えて二人とも勇猛そうに見せていたけれど、実はどちらも実戦経験がなく弱腰であることを見抜かれたくない「男としてのプライド」。
真砂は二人の男が真剣に自分を取り合わずに、むしろ興味を急速に失っていることにショックを受けた「女としてのプライド」でした。
異性がどういったことにプライドを持っているのかは、正確に把握することが難しいため、何気なく傷つけてしまうことが多々あります。
地雷がわからず不用意な言動で相手を怒らせたり悲しませたり…
異性である以上「えっ、なんでこんなことで!?」と驚くことがありますが、お互いに繊細な部分があることを考えながら関わっていくしかないのでしょうね。
話が終わった後、羅生門の自分たちがいる側とは反対のところから赤ん坊の泣き声が聞こえてきて、三人はそちらに行きます。
捨て子でした。
下人は迷いなくその赤ん坊のおくるみを剥いで自分のものにします。
杣売りと僧が見咎めますが、下人は悪びれもせず「この乱世で生き抜くのに、かっぱらいをして何が悪い。相手が赤ん坊だろうと知るか」とエゴをむき出しにしました。
そして杣売りに、武弘の身体から凶器の短刀を引き抜いて盗んだのだろう、と言います。
図星でした。
杣売りは何も言えなくなり、下人は去っていきます。
僧が抱っこしている赤ん坊に手を伸ばすと、僧から「肌着まで奪う気か」と一喝されました。
しかし杣売りはその子を育てるつもりだ、と言います。
僧は杣売りを疑った自分自身を恥じました。
赤ん坊を手渡すと、杣売りは下人とは反対方向の道に進んで去っていきます。
正直、杣売りは本当にその子を家に連れて帰って育てるのか、分かりません。
それでも僧は彼を信じてじっとその背中を見送ります。
盗みを働いていたという疑惑があがった人が目の前にいる。
この人を信じていいのか、迷いが生じるのは当然です。
赤ん坊を預かろうとした杣売りを警戒した僧の態度は間違ってはいません。
それでも人を信じなかった自分のことを恥じるのです。
人に信じてもらえないことも辛いことですが、人を信じられないというのも悲しいものです。
裏切りを何度も繰り返す人にはレッドカードを突きつけるべきだと思いますが、他人を信じる・信じない、は難しいですがバランスを取りながら判断しなければいけませんね。
何を指針としてそうすべきかは、個人の判断によると思います。
いろんな経験値から判断していければ、と考えます。
証言した三人にも、杣売りにも「隠したいこと」が存在します。
しかし下人と僧は、とりあえず作品内ではそういったものがありません。
僧はおそらく後ろ暗いところがない清廉潔白な人物として描かれ、下人は逆に悪であることを隠しもしません。
ここで分かるのは、隠すこともエゴなら、隠さないこともエゴということ。
下人の言う通り、結局人間はエゴが物事の原動力なのかもしれません。
そしてエゴを露わにしていない僧は、人間の業を憂いながらも、もう神の領域というステータスに行っているのでしょうね。
人間の内面についていろいろと考えさせられました。
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