映画「我が道を往く」あらすじと感想【ネタバレあり】じいちゃんの可愛さを知る
1944年公開。
「吾輩はカモである」「めぐり逢い」などのレオ・マッケリー監督が撮ったハートフルなヒューマンドラマです。
主演は大物歌手のビング・クロスビー。
この作品でアカデミー主演男優賞を受賞しています。
そして老神父役のバリー・フィッツジェラルドが、主演と助演の両方にノミネートされて物議を醸し、助演男優賞の方を獲得して話題になった作品です。
他にも作品賞・監督賞など、主要部門を総なめにしました。
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あらすじ
ニューヨークの下町にある聖ドミニコ教会は金銭面で苦境に立たされていた。
高齢のフィッツギボン神父が45年以上ひとりで管理しているが、信者は貧しい人たちばかりで寄付が少なく、経費の支払いが滞りがち。
礼拝堂も老朽化してきている。
地元の不動産業者ヘインズからは抵当に入れるよう圧をかけられていた。
そこへ年若いオマリー神父が派遣されてきた。
オマリー神父は陽気なタイプで、気質が違うフィッツギボン神父は戸惑う。
ストリート・キッズたちを聖歌隊にさせ、家出少女に歌手として職を得るよう助言したり…
祈るだけではなく、実用的な救いの手をオマリー神父は差し伸べていた。
相容れないフィッツギボン神父は、オマリー神父の転任を願い出るため司教の元へ直接出向く。
しかしそこでフィッツギボン神父は、実は自分が降格となりオマリー神父に今の地位を明け渡すことが司教の考えだと悟る。
激しく落ち込んだフィッツギボン神父はその夜、部屋を片付けて教会を出て行った。
オマリー神父は仲良くなった警官にフィッツギボン神父を探してもらい、行くあてがなかったフィッツギボン神父もきまり悪そうな顔で戻ってくる。
秘蔵のスコッチを飲みながら、オマリー神父はこれまで通りフィッツギボン神父の補佐役を望んでいることや、フィッツギボン神父は故郷アイルランドにいる高齢の母に会いたいと願っていることなどを話して打ち解けた。
感想
大きな出来事は終盤にしか来ません。
それまでは歌聞いたり (いい声)、悪ガキくんたちとのやり取りにニヤニヤしたり、じいちゃん (フィッツギボン神父) の可愛さを愛でたりして、のんびりと時間が過ぎて行く感じです。
いやホント、じいちゃんがカワイイ(≧▽≦)!!
表情が豊かで、佇まいがチョコナンとしていて、ジジ萌えしてしまう…
神父服と合わせた帽子にボンボンがついているところも、カワイイって分かってやっているスタイリングだろ~、という “あざとさ” すら可愛い。許す。
オマリー神父の尽力で、オペラ歌手や他教区の神父 (どちらもオマリー神父の親友) からの協力を得たことで教会の経営難は解消されます。
だけどお金を手にしたその夜に教会が火事になって全焼してしまいました。
なんという悲劇…!
じいちゃんはガックリきてしまいますが、若いオマリー神父は再建に希望を燃やしてじいちゃんを元気づけます。
やっぱり高齢の方は残された時間や若い時ほど体力がないことなどから落ち込んでしまうものなのかもしれません。
より若い人が引っ張っていくしかないですよね。
原題はGoing my way(ゴーイング・マイウェイ)。
日本でもよく聞く言葉ですよね。
自分の幸せを目指して進むべき道を見極めて歩んでいく。
それは周囲を無視して自分本位にやっていくことではないんですよね。
平坦ではない道を、折り合いをつけながら進んでいくので、頭を使って慎重に、という戒めも感じます。
ラストはしんみりさせながら温かい余韻を残していきます。
たまにこういう作品を観るのもいいですね。
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