映画「市民ケーン」あらすじと感想【ネタバレあり】オーソン・ウエルズの代表作
1941年公開。
オーソン・ウエルズの監督デビュー作であり、脚本・製作・主演も兼ねています。
映画におけるあらゆる技法・手法のエポックメイキングな作品で、映画製作を目指す人は必ず見ておくように言われるそうです。
新聞王ウイリアム・ハーストをモデルにしているため、公開当時はあらゆる非難の的にされました。
新品価格 |
あらすじ
ザナドゥと呼ばれる荒廃した大邸宅で新聞王チャールズ・フォスター・ケーンが死亡。
最後に「バラのつぼみ」と言い残し、その手からスノードームが転がり落ちて割れる。
ケーンは貧しい生まれだったが莫大な富を相続し、その資金を元に弱小新聞社を買い取り、大手に押し上げてこの世の春を謳歌。
やがて政界にも打って出ようとしていた矢先、恋愛スキャンダルで失脚した。
以後ものごとは上手くいかず世間から忘れ去られて孤独のうちに亡くなる。
こんなダイジェスト番組を作ろうとしていたニュース制作スタッフたちは、これじゃ薄っぺらいと判断。
そこでケーンをよく知る人間に片っ端から会っていき彼の人物像を掘り下げ、その上で「バラのつぼみ」の意味を探ろうと決める。
記者のトンプソンはまず、幼少期のケーンを引き取って後見人となった銀行家サッチャーの回想録を図書館で読む。
初めて会った日、両親、とりわけ母と引き離されると知ったケーンは、そのとき手に持っていたソリでサッチャーを殴って激しく抵抗したという。
そして母が持っていた金鉱の権利を相続する25歳まで、後見人として彼の面倒をみていた。
次にトンプソンは、ケーンと共に弱小新聞社<インクワイアラー>を盛り上げた親友・バーンスティンに会いに行く。
バーンスティンからは、新聞社買い取りの当初から大改革、そして業界トップだったクロニクル紙から優秀な記者をごっそり引き抜いてトップに躍り出た話を聞いた。
調子づくケーンのことを懸念した、もう一人の親友で劇評記事担当のリーランドに次は話を聞きに行く。
ケーンの結婚・不倫そしてスキャンダルからの再婚について詳しく聞かせてもらった。
2番目の元妻・スーザンがようやく重い口を開き、再婚してからのケーンとの生活は精神的に疲弊するものだったことをトンプソンは知る。
スーザンから執事のレイモンドに会うように助言されて、トンプソンは遺品整理がされている真っ最中のザナドゥに出向いた。
スーザンが出ていった後のケーンの荒れた生活ぶりをレイモンドからは聞けた。
そして肝心の「バラのつぼみ」の意味は――?
トンプソンたちは残された膨大な遺品に圧倒されながら考える。
新品価格 |
感想
インクワイアラーが業界トップの新聞になったところで、ケーンは大統領の姪・エミリーと結婚します。
時代の風雲児と良家の子女。
これ以上ないほどの組み合わせでしたが、二人はあっという間に倦怠期に入ってしまいました。
まずケーンの仕事が忙しすぎて顔を合わせるのは朝食のときぐらい。
それでも互いに笑顔で会話をしているうちは良かったのですが、毎日帰りが遅ければ心配にもなってきます。
そこからすれ違いが生じ始め、会話は少なくなってきました。
そしてエミリーの叔父である大統領への痛烈な批判をケーンは自社の新聞に載せてしまい、それがエミリーの逆鱗に触れて大喧嘩に発展。
それ以来、一緒の食卓についているのに互いに一言も口を利かず、それぞれ新聞を読みながら自分の食事を平らげるだけの関係になってしまいました。
大統領という特殊な仕事なので、批判はあるとは思いますが妻の親族ですからねぇ…
配偶者への配慮がないですよね…
自分が自分の家族の文句をグチとして言うのはいいけれど、相手に自分の親兄弟を悪く言われるのは腹立たしいものです。
相手にグチをこぼすのは止めたほうがいいですよね。
ケーンの2番目の妻・スーザンはオペラ歌手を目指していました。
実力は「…(;・∀・)」なのですが、ケーンは愛する妻を売り出すため一流の声楽コーチを雇って彼女に厳しいレッスンを課せます。
そして歌劇場を建設し、彼女主演のオペラを上演させます。
しかしスーザンは舞台に立つたび惨めな思いをし、引きこもって自殺未遂をするまでに追い詰められました。
彼女はケーンから高価なプレゼントをたくさんもらい、お城のような邸宅に住んでいますが、少しも幸せではありませんでした。
愛する人の役に立ちたい。
誰でも思うことですね。
幸せになってほしい。夢を叶えてあげたい。
そのための手助けをしてあげたい。
ケーンは大金持ちだから、庶民からすると規模がケタ違いなサポートをスーザンにしてあげていますが、彼女の愛は離れていってしまいました。
物だけあげればいいと思っている、と詰られたり、ザナドゥも豪華で広い邸宅ですが寒々しくて、かえって孤独感を深める家でした。
全部彼女が喜ぶだろうと思ってしたことなのに、結局独りよがりだったわけです。
相手に喜んでほしいと思ってプレゼントをしたり、甲斐甲斐しく世話を焼いたり、苦労を肩代わりしてあげたり…
本当に相手が望んでいることでしょうか?
そしてそれは相手が自分を愛してくれる要因になるのでしょうか?
相手が欲しいと思っていなければエゴになります。
ケーンについて話すリーランドは、繰り返し「愛することを知らない」「自分だけを愛している」とトンプソンに伝えます。
ケーンは他人を愛することができない人でした。
愛し方がわからないからスーザンのときのように斜め上の方向の愛情表現をしてしまったのです。
そして自分の不利益になると見れば親友でも切り捨てる非情さがあり、没落してからは急激に周りから人がいなくなって、孤独のうちに亡くなります。
しかし、「他人を愛せ」と言われて「はい愛します」と、すぐに愛せる人が見つかるものでしょうか。
親切にする、というのとは違うわけですよね。
なかなか愛せる他人が見つからなくても、自分のことを愛することはできます。
対外的には孤独になっても、自分を愛していれば精神的には孤独ではないのではないかと思います。
「バラのつぼみ」は、ケーンが幼い頃に遊んでいたソリのことでした。
サッチャーを殴ったあのソリです。
そして手に持っていたスノードームは雪の日の情景。
死の瞬間、ケーンの心にあったのは子供の頃の思い出だったのかと考えます。
栄華を極めたときでもなく、落ちぶれたことを嘆いているのではなく…
もしケーンが自分を嫌っていたら、死の床で失意や後悔が胸の中に渦巻いていたと思います。
でも楽しかった子供の頃に戻ったのは、愛する自分を楽しい気持ちにさせて旅立たせたかったからではないかな、と願望も込めてそう解釈しています。
新品価格 |
他オーソン・ウェルズ出演・関連作品
リーランド役ジョゼフ・コットン他出演作品
「ガス燈」あらすじと感想【ネタバレあり】ファッションも目を惹く心理サスペンス
新品価格 |